DX推進の現場から
青木 茂
株式会社コアコンセプト・テクノロジー
デジタルトランスフォーメーション事業本部
製造ソリューション1部 アーキテクト


父親の影響で9歳の頃よりプログラミングに触れる。開成中学校・高等学校から東京大学法学部に入学するが、その後工学部に転部。学生時代から企業からプログラミングの仕事依頼を受けるようになり、複数の大規模プロジェクトに関わる。2019年に株式会社コアコンセプト・テクノロジーに入社し、現職。機械部品調達サービス「mievy」など製造〜建設DXのさまざまなプロジェクトをリードしている。

DXの情報や知識、事例はインターネット上・書籍などさまざまなコンテンツを通して情報が届けられています。しかし、DX推進の答えは企業の数ほどあると表現しても過言ではなく、さまざまな要因によってアプローチ方法は異なります。

多くの企業のDX推進を現場から支援してきたプロフェッショナルからヒントを得る企画「DX推進の現場から」の第3弾は、株式会社コアコンセプト・テクノロジーの青木 茂介氏に話を伺います。

エンジニア〜プログラミング歴は約40年。業界でも随一の経験と実績を誇る青木さんが語るDXの現状と推進の鍵とは?

青木 茂氏

ーー青木さんは製造業や建設業のDXを手掛けるコアコンセプト・テクノロジー(以下CCT)で技術領域のスペシャリストとしてご活躍されています。まずは青木さんがプログラミングを始めたきっかけを伺ってもよろしいでしょうか。

青木:約40年前のパーソナルコンピューターの草創期に遡りますが、父親が設計事務所を経営しておりました。建築設計では電卓で行うには少々面倒な計算があり、パソコンを使って複雑な計算をしたいというニーズがありました。
当時、私は小学生でしたので詳しいことはわかりませんでしたが、机の上にコンピューターの本が積まれており、興味を持って読み始めました。

読んでるうちに、どんどんとその道にのめり込んでいきました。
当時はNHKの趣味口座「マイコン入門」という番組があり、森口繁一さんという東京大学の教授が番組の講師を担当していました。森口先生のテキストを読み、テレビも毎週見ながら勉強していましたね。

その後、私も東大に入学するのですが、森口先生が講義をしていた教室に入った際は非常に感慨深いものがありました。間接的ではありますが、私の師匠はこの人だと思ってました。

ーー当時はまだまだコンピューターの黎明期ですが、プログラミングのどのような点に興味を惹かれましたか?。

青木:最初はゲームやりたかったんです。現在みたいにゲーム機が一般的になる前でしたので、自分でプログラムを組むしかなかったんです。そのうちにゲームよりもプログラミングそのものが楽しくなっていきました。

ーー初めて作られた作品は覚えていますか。

青木:11歳ぐらいの時ですかね。先程お伝えしたNHKの番組で取り上げられてたテキストの中に、太陽系のシミュレーターの作成方法が掲載されていました。そのシミュレーターを改造して、任意の時刻の太陽系の天体位置を計算するゲームを作ったのが最初です。プラグラミングに加えて、私のもう1つの趣味がピアノを弾くことなんです。中学、高校はピアノを弾くことと、 コンピューターをいじることで毎日がいっぱいいっぱいでした。

ーー大学時代はどのように過ごされていたのでしょうか

高校までエンジニアリングに関わる領域をずっとやってきたこともあり、より幅を広げた方が良いのではないかと周囲のアドバイスを受け、最初に法学部に入学しました。ただ法学部で勉強する内容がまったく合わず、後に工学部に入り直してます。

ーー東京大学の工学部をご卒業された後のファーストキャリアはどのような選択をされのでしょうか。

青木:大学を出たら就職することが多いと思いますが、わたしはCCTに入社するまでずっとフリーランスの仕事をしていました。大学在籍中から企業から依頼を多く受けていたので、就職するという選択肢はありませんでした。主に大手の電力会社や電気メーカーをクライアントに、研究開発の受託業務や、スポーツ施設などの比較的大きい構造物の設計業務を行っていました。

ーー現在のCCT社でご担当されている業務と通じる部分が大きいのでしょうか。

青木:ものづくりという視点では近いので、役に立ってる部分はあると思います。今後は建設業向けのシステム作りにも携わる予定で、当時建設業向けの業務を行っていた際にやりたかった自分の思いを新しいプロジェクトで実現できれば良いなと思っています。

青木 茂氏

ーーフリーランスとして様々な案件に関わる中で、どのような経緯でCCT社に入社されたのでしょうか。

青木:入社したのはコロナ禍の直前です。以前からとある現場のエンジニアとして、フリーランス契約でCCTの業務を請け負っていました。形状認識を行うシステムの裏側のロジックを組み立てる業務だったのですが、当時は形状認識の先行事例がほとんどなく、顧客のニーズに合わせて提案しながらロジックを組んでいきました。そのような業務をする中で、入社の打診がありました。ちょうど組織で動くことに面白みを感じていましたので、入社することになりました。

ーー組織で動くことの面白みとは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。

青木:組織が大きいほどプロジェクトも大きくなります。個人的には、5人ぐらいのエンジニアがいても仕事で負ける気はしません(笑)。しかし、開発チームが大きくなり10人程の規模となってくると、さすがに私1人で全てやるよりも一歩引いて全体をリードしながら10人に働いてもらった方が効率が良い。

あとは前例がなかなかない尖った案件を引いてくる会社であることも魅力でしたね。
私自身の知見をチームに活かし、CCTは特殊案件に強いと言われる評判を作り、また尖った案件の依頼が入ってくる。このような流れを作りたいですね。

ーー現在はどのような業務を担当されているのでしょうか。

青木:私はエキスパートという技術職の肩書きがついており、私と組んでいるマネージャー2名とともにその配下のエンジニアで案件を推進しています。

現在担当している案件の1つが一般的に調達DXと称されるもので、量産部品の3Dモデルから原価計算を行うシステムの作成を行っています。

ーー2016年頃DXというワードが徐々に浸透してきました。製造業、建設業での現状のDXの進み具合をどのように捉えていますか。

青木:まず製造業に関しては、DXのあるべき未来像はずっと昔から言われていました。例えば図面を紙の2Dではなく3Dモデルを3D CADで作り、そこにすべての情報を入れていく。特に寸法公差ではなく幾何公差で入れていくといったことですね。

あるべき未来像は指摘され続けているものの、現場までそのような考えが浸透しているかというと実際なんとも言えない状態です。一方で製造業は携わっている人達の世代や意識次第で、想像以上のスピードで進んでいくのではないかという期待感があります。

以前に3D技術の活用案件で板金のサプライヤーと直に話をさせていただく機会がありました。
失礼ではありますが、私は「3Dなんてわからない」という頭が固い感じの方が出てくるのかなと勝手に想像しました。私が3Dを活用した検査方法などかなり突っ込んだ提案をしていたのですが、「それでやりましょう!」とOKが出ていき、どんどんと業務革新が進んでいく経験をしました。

一方建設業の方は、私が数十年前に土木学会にいた頃から変わらず、いまだに紙の図面の世界です。近年は3Dモデルを導入し、設計フェーズから施工後の維持管理フェーズに至るまですべての情報をモデル内に入力して活用するBIM(ビルディングインフォメーションモデリング)を推進する話がありますが、あまり普及してない実態があります。

今後は私もこの領域に積極的に取り組んで少しでもこの現状を変えていけたらなという思いがあります。

ーー建設業のDXがうまく進まない要因はなんでしょうか。

青木:以前に個人コンサルとして建設領域を担当していた際、鉄骨構造を専門にしていましたが、鉄骨でものを作っても必ずその下には地下の構造物である基礎工が必要になるように、建設業界は重層構造になっており、専門分野が細かく分かれているので、
全体を理解できる人が本当にいないんですよね。

例えば、上物は上物で構造、意匠、設備の3つに分かれ、BIMはそれを全部同じところにレイヤー分けして入れられるのが魅力なんです。しかしじゃあそれを誰が見るのか、というとやはり見ることができる人がいないのです。
建設業界はあまりにも縦割りな性質があるため、それがテクノロジーで全て合わせることができるようになっても、どのような良い未来があるのか思い描くことができないんですよね。

しかしBIMの可能性というのは、それが上から下まで全部理解でき、そして一貫して管理できることにあります。今後は全体を俯瞰する目を持っている技術者がますます求められるようになると思っています。

ーーそのようななか、CCT様のようなDXコンサルタントに求められる役割はなんでしょう。

青木:BIMの提案をしている中で思うのが、多くのSIer(システムインテグレーター)はシステムについての理解はある一方、建設業で縦割り化された各領域への理解がほとんどないことです。

例えば、私がフリーランスで設計を請け負っていた際のプロセスは、まずは地下がどのような状態になっているかの地質調査をしていました。実際にボーリングをすると大変な作業になるので、まずは建物の地図をもらい、近隣のボーリングデータを参照します。

以前はこの近隣のボーリングデータを取得するのに手間がかかりました。しかし、近年は国土地理院が管理する電子国土Webがあり、対象エリア近辺のボーリングデータをすぐに参照できます。PDF閲覧だけで、データが正規化されていないのが残念な点ですが、以前と比べるとものすごい進歩です。

BIMは、本来であればこのようなデータをどんどん連携していけば良いと思いますが、通常のSIerは土質工学のことなんて全然わかりません。 そのため、既存のやり方がどのように変化したら便利になるかを想像できないんですね。
建設DXという領域において、私は何も専門にしていない一方で、様々な分野を知っているので、それは強みになると思っていますし、組織内でもそういった人材を増やすべく社内教育の領域にも注力しています。

青木 茂氏

ーー製造・建設DXがそのような課題を抱えるなか、ご自身の業務のモチベーションや使命はなんだとお考えですか?

青木:世の中にないものを作っているのが楽しいですね。製造DXや建設DXの領域において、部分的には様々な理論をまとめた論文などはありますが、理論を実用の精度にまで高めている事例は非常に少ないです。

私が担当している案件が全て実用の域に達しているかというと部分的ではあるのですが、人の真似ではない新しいものを作るプロセスにはやりがいを感じます。

特に最近心がけてるのが、当たり前じゃないことをすることです。私が担当している領域は、何もない0から1を作る部分なので、クライアント自身も最終的なゴールをイメージできていない場合が多いです。その夢を一緒に見てあげることが1番大事だと思っています。

可能性は低いけれども、ないわけではない。このような連鎖を探して、価値を見つけ出すことが私の役割として重視しているポイントですね。

ーー事例がないなかから活路を見出すか、見出した推進した活路でPDCAを回していくのかという役割の違いですよね。

青木:そうです。1から10でPDCAを回して精度を高める部分は別の方に任せ、私が1番注力すべきことはそこかと思います。実際は1から10のところまで結構口出ししてしまっているんですけどね(笑)。

私の根本にはアーティストでありたいという気持ちがあります。
古代ギリシャの医学者ヒポクラテスの「箴言」に「アルスロンガ、ウィータブレウィス(人生は短く、技術は確かに長い)」という言葉があります。医術を学ぶのに膨大な時間がかかるにも関わらず人生は短いから、時間を無駄にせずいっぱい勉強しろよという意味です。

私はピアノを弾くのが趣味で、東大に行けなかったら音大を受けてヨーロッパのどこかの国で音楽をやっていたんだと思っています(編注:定期的に演奏会を開催するなど青木さんのピアノは趣味の範囲を超えている感がある)。ですので、私はこの言葉を、芸術は永遠で人間は短い限られた時間しか生きられない、と解釈しています。解釈として合っているかどうかなんてわからないですけどね。

芸術は、永遠かどうかはともかくとして、人間の寿命を超えて長く残ります。芸術に昇華すると、人間の限界から離れる構造になるんです。私は芸術のそういう部分にすごく惹かれています。

仕事で私が作っているシステムも見事な構造であれば長く広く使われるでしょうし、そうでなければすぐに消えるでしょう。そのような見事な構造へのこだわりが先程の0から1へのこだわりに繋がっているのかなと思います。

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